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Transcript for DIVVY/dual.symposium.01 [Kusumi]
| Time | Content |
|---|---|
| 00:06 → 00:11 |
「アートのオープン・ソース化は可能か」というテーマでお話をするということで、 |
| 00:11 → 00:22 |
僕が専門にしているのが現代美術ないし美術史の研究なので、 |
| 00:22 → 00:33 |
いわゆる美術史の中における、参照例みたいなそんなことを探すゲームというのを個人的に始めています。 |
| 00:33 → 00:42 |
その中でアートのオープン・ソース化を考える中で、はたと思いついたというか、 |
| 00:42 → 00:51 |
ここで話の切り口として皆さんと考えていきたいのはフルクサスです。 |
| 00:51 → 01:09 |
フルクサスは1960年代にニューヨークを拠点として、世界中で活動を展開した若手アーティストの集団ですよね。 |
| 01:10 → 01:15 |
パイクであれ、ボイスであれ、ローリー・アンダーソンであれ、オノヨーコであれ、 |
| 01:15 → 01:27 |
色々な人たちが当時まだその名前が売れる前にどちらかというと、最初は売れないアーティスト集団だったわけですね。 |
| 01:27 → 01:40 |
そういう意味では今で言えばオルタナティブなシーンをニューヨークで作っていてある意味で多国籍軍団だったんですね。 |
| 01:40 → 01:52 |
いわゆるアングロサクソン系のアメリカ人ではなくて、当時何かに憧れて世界中からアメリカに行った人たち。 |
| 01:52 → 02:09 |
今でいうならばマルチカルチャー、当時で言うインターメディア、新しいメディアの機材や表現方法を積極的に使う集団だったんです。 |
| 02:09 → 02:13 |
今で言うならばマルチメディアなアーティスト集団です。 |
| 02:13 → 02:32 |
そういう意味で今にして思うに21世紀的なアートの方法論を60年代に先駆的に非常に早い段階から展開していったと言える。 |
| 02:32 → 02:52 |
フルクサスという名前の語源なのですが、これは日本語でいうと流転。流れる、転じる。英語では「to flow」、流れ出す。 |
| 02:52 → 03:06 |
語源はラテン語なのですが、それはひょっとしてオープン・ソースに関係あるんじゃないかなと考えて、今日お話させていただきます。 |
| 03:06 → 03:29 |
オープンというのは開く、開いている状態で、開けっ放しだからこそ誰でも入れる、包み隠さない、公開されているという状態ですね。 |
| 03:29 → 03:45 |
ソースというのはある意味で、源なわけですよね、これも語源的には英語の古語で泉を表すことだと思うのですよ。 |
| 03:45 → 03:57 |
そう考えたときオープン・ソースというのはふたを外されて、とめどなく流れる泉というイメージが湧く。 |
| 03:57 → 04:18 |
一方でフルクサスの流れ出すという事、フルクサスのリーダーであるジョージ・マチューナスが作ったイメージアイコンの一つに、 |
| 04:18 → 04:39 |
中国風の絵で人が着物の裾を上げていて、お尻からフルクサスという文字が流れているというイメージイラストがあるのですよ。 |
| 04:39 → 04:54 |
ある意味では流転という綺麗なものではなくて、どちらかというと垂れ流しというような、そこまでマチューナスは意図していた。 |
| 04:54 → 05:13 |
ある種のバッド・イメージのアイコンも使いながら、反芸術的な手法で何かの泉があふれ出すような、何かが開けっ放し、 |
| 05:13 → 05:25 |
ないしはとめどなく垂れ流されているような、そういった運動体であろうとしたと思うんですね。 |
| 05:28 → 05:38 |
今日は映像として用意してきたのは、今年の3月に福井県立美術館でフルクサスメンバーの靉嘔(AIO)の回顧展があって、 |
| 05:38 → 05:50 |
そのとき開催された「福井フルクサス」というイベントのビデオで、その時の模様を僕がビデオで |
| 05:50 → 05:59 |
撮ってきたのを編集してきたので、映像をお願いします。映像を見ながら、お話することにしましょう。 |
| 06:12 → 06:25 |
2006年3月12日に福井県立美術館で行われたもので、靉嘔の他にベン・パターソン、ユルゲン・オブリッヒ、塩見允枝子さん、 |
| 06:25 → 06:40 |
そういったかつてのフルクサスのメンバーが集まって、かつて演じられていたイベントを再現するという試みでした。 |
| 06:52 → 07:00 |
今残っているフルクサスのイベント、これもご存知の方いらっしゃると思うのですが、 |
| 07:00 → 07:05 |
通常のパフォーマンスでのいわゆるハプニングというものとは明らかに区別するものとして、 |
| 07:05 → 07:09 |
彼らは「スコア」という言い方を当時からしていました。 |
| 07:09 → 07:18 |
このスコアとは何なのかというと、要は楽譜ができるのですね。 |
| 07:20 → 07:27 |
どういう楽譜があるのかというとオノ・ヨーコのインストラクション・アートの作品のように、 |
| 07:27 → 07:37 |
文字で「なになにをすること」と記されたものもあれば、絵などで記されたものがあるわけですが、 |
| 07:38 → 07:48 |
いずれにせよ、そのパフォーマンスをスコア化してイベントという形にすることによって、 |
| 07:48 → 08:01 |
そのスコアをフルクサスのショップで購入した人は、それを自由に上演することができるという仕組みだったんですね。 |
| 08:01 → 08:15 |
だから楽譜を買えば曲が演奏できるように、フルクサスのスコアを買えば、誰でもどこでも演じていいですよ、という。 |
| 08:15 → 08:27 |
今お見せしているのは、ナム・ジュン・パイクの「頭の禅」というタイトルのイベントです。 |
| 08:27 → 08:33 |
演じているのは現代の日本の人ですよね。 |
| 08:33 → 08:47 |
これはかつては全然違う人が演じられていたものが今現在、数十年を経て違う人が演じても成立するというものですね。 |
| 08:47 → 08:57 |
これは、「One For Violin」というタイトルのもので、演じるのは村井啓哲さんという日本のパフォーマーの方ですね。 |
| 09:04 → 09:23 |
自分のパフォーマンスと共にこういった形で機会があるとフルクサスのイベントを演じるという形で参加される仕事をされています。 |
| 09:28 → 09:37 |
ちなみにパイクは残念ながら亡くなってしまいましたが、作者が死んでもスコアが残されて、 |
| 09:37 → 09:48 |
世界各国で色々な人が演じることができるということですね。 |
| 10:09 → 10:15 |
これ、あらかじめ言っちゃうと、バイオリンを壊します。 |
| 10:15 → 10:25 |
パイクは他にもピアノを壊す作品であるとか、そういったスコアもありますけど、これはバイオリンを壊すものですね。 |
| 10:25 → 10:33 |
もちろん残されたスコアをどう演じるかというのは個々人の解釈によって、 |
| 10:33 → 10:39 |
クラシックの音楽が色々な解釈によって演奏されるのと同じことですけども、 |
| 10:39 → 10:47 |
ここでは非常に精神的な「タメ」をもって、時間的に演じているのですね。 |
| 11:00 → 11:05 |
[司会] ちなみにこういったスコアはどういった場所で入手できるものなんですか? |
| 11:07 → 11:13 |
ええと、ギャラリー360°とかですね |
| 11:55 → 11:59 |
これはおそらく初演は60年代の前半だったと思うんですが、 |
| 11:59 → 12:05 |
こういった楽器を壊す、要するに反芸術的な行為なわけですけれど、 |
| 12:05 → 12:10 |
これが逆にある意味ジョン・ケージの影響もあるわけですけども、 |
| 12:10 → 12:18 |
要するに、バイオリンという楽器が壊される音をも音楽として聞くことができる。 |
| 12:18 → 12:27 |
あるいは楽器を壊すまでの無音の状態、サイレントな時間も音楽化されるということを表現されている。 |
| 12:27 → 12:34 |
要するに、音楽の象徴である楽器を壊すという反音楽なものでありながら、 |
| 12:34 → 12:42 |
同時に全ての音の時間なり環境なりを音楽として肯定するというような、 |
| 12:42 → 12:52 |
反音楽だけではなく、「汎音楽」をも含み込む、というようなものでした。 |
| 12:55 → 13:07 |
さっきのスコアの話ですが、当時はいくらだったか分からないのですが、恐らくは非常に安い値段でフルクサス・ショップで |
| 13:07 → 13:20 |
マルチプルとして売られていたものが、今残っているのは当然プレミアムな価格がついて売られているものがあるでしょうし、 |
| 13:20 → 13:30 |
あるいは作家によっては新しいエディションとして複製されることもあれば、 |
| 13:30 → 13:40 |
自由にコピー可能という形にするという事をこれからしていくことは、ひょっとしたら可能かも知れませんが、 |
| 13:40 → 13:45 |
そのへんは個々の作家によって委ねられているというのが現実だと思います。 |
| 13:56 → 14:01 |
これは「循環(Cyclus)」というタイトルで、トーマス・シュミットの作品で、 |
| 14:01 → 14:14 |
ボトルに入れた水を円環状に並べられたペットボトルに移し変えていくという、そういうスコアの作品ですね。 |
| 14:28 → 14:36 |
[司会] 最初に話されたフルクサスの集団の特徴として、多様な人材が色々な国からきて、 |
| 14:37 → 14:43 |
[司会]それこそジェンダーも色々で、マチューナスという中心的な人物のまわりに色々なプロジェクトがあって、 |
| 14:43 → 14:53 |
[司会]そうした特徴と一緒にオープン・ソースとのつながりを確認しながら話していきたいのですが、 |
| 14:53 → 14:59 |
[司会]例えば今言ったようなスコアが作品のソースであるわけですよね。 |
| 14:59 → 15:04 |
[司会]ソフトウェアのプログラミングコードに対応しているともいえるこのスコア。 |
| 15:04 → 15:13 |
[司会]ただスコアは当時はマルチプルという形で安く買えたのだが、今はエディションがついて、 |
| 15:13 → 15:22 |
[司会]プレミアがついたりして何十万もして入手する。その乖離についてはどうお考えですか? |
| 15:23 → 15:38 |
そうですね。その辺で、ある意味では作家が現存している間に、問題を解決する必要はある。 |
| 15:38 → 15:50 |
当時は誰でも演出していいですよ、という形でスコアを買えば演じていいという。 |
| 15:50 → 15:56 |
実質的にはフリーウェアだったわけですね。 |
| 16:00 → 16:06 |
[司会]演じていいというのは上映権みたいな契約書めいたもの、正確な言葉が |
| 16:06 → 16:12 |
[司会]使われていたものではなくて、「やってもいいよ」というもっとゆるいものですね? |
| 16:12 → 16:22 |
そうですね。だからそれこそ帰属、つまり誰の作品であるかを明示してくれれば、 |
| 16:22 → 16:27 |
誰がやっても同じでしょ、というアイデアでもあったと思うんですよ、 |
| 16:27 → 16:33 |
それが時を経ることによって、スコアの入手が難しくなることによって、 |
| 16:33 → 16:44 |
当時の約束を字義通りに受け取れば、いま別の人が演じることは難しいわけですが、 |
| 16:44 → 16:54 |
当時のコンセプトを組みとれば、それは明らかにフリーウェアだったと思いますね。 |
| 16:56 → 17:06 |
[司会]フリーウェアだった60年代に、例えばある人がスコアを買って、上演をする時に |
| 17:06 → 17:15 |
[司会]スコアそのものを変更する、つまりソースの改変というのは許されていたんですか? |
| 17:15 → 17:29 |
それは当然許されていたと思います、楽譜をいかに演奏するかは演奏家の判断に任されるのと同じように。 |
| 17:29 → 17:37 |
[司会]あ、そうではなくて、スコアそのものを変更して、原案者が靉嘔さんだったら、 |
| 17:37 → 17:48 |
[司会]靉嘔さんのスコアを僕が買ってリミックスをして、原案は原案者のものだけれど、リミクサーは私ですというような。 |
| 17:48 → 17:53 |
なるほど、そこまでの実例はなかったと思いますね。 |
| 17:58 → 18:07 |
[司会]ただ、フルクサスに所属していたアーティストの意識としては、そういう自由なものであった。 |
| 18:07 → 18:18 |
もちろんイベントやパーティが開かれて、色々な人が集まって、 |
| 18:18 → 18:27 |
互いに互いのスコアを演じあうことも当然あったと思うのですよね。 |
| 18:34 → 18:39 |
[司会]今おっしゃった話の延長で、有名な話かは分かりませんが、 |
| 18:40 → 18:45 |
[司会]パイクがバイオリンを持ってステージ上で何かをしていようとしたけれど、 |
| 18:45 → 18:53 |
[司会]何をすればいいのか分からず硬直してしまい、そこで客席から「ぶち壊せ!」という声がした。 |
| 18:53 → 19:00 |
[司会]それで「ああ、いいんだ」と思ってバイオリンを壊した、その声の主がヨーゼフ・ボイスだったという。 |
| 19:00 → 19:08 |
[司会]それもフルクサスという地理的にも時代的にも同じものを共有していて、 |
| 19:08 → 19:18 |
[司会]作品の形成も、それこそ楠見さんが指摘されたように、トキワ荘における漫画家の競作だとか、 |
| 19:18 → 19:29 |
[司会]集団性みたいなものが、個々の作品の形成に強い影響を与えたという言い方もできるんですね。 |
| 19:29 → 19:43 |
そうですね、確かにパイクやボイスはある意味ではお互いの作品に影響を与えあう関係でありましたし、 |
| 19:43 → 19:56 |
例えば靉嘔のレインボー・ペインティングやオノヨーコの作品で全てを白く塗り尽くしてしまうような作品、 |
| 19:56 → 20:11 |
あるいはパイクのテレビのカラー・バー・ペインティングというものがあるのですけれど、カラーバーの色に応じたペインティングですね. |
| 20:11 → 20:14 |
あるいはフルクサスのアーティストではないのですが、 |
| 20:14 → 20:21 |
同時代のニューヨークのアーティストとして草間彌生がいますけど、彼女のドット・ペインティング。 |
| 20:21 → 20:33 |
いずれも何かキャンバスをそれぞれのテーマで覆いつくしていく、という方法論の作品ですけど、 |
| 20:33 → 20:40 |
実際の手法が違っても、方法論には共通性がある。 |
| 20:40 → 20:50 |
そこにも何か発想のオープン・ソース化というものがあったんじゃないかという風に思います。 |
| 20:50 → 20:55 |
[司会]ただ、そのオープンなあり方というものが、暗黙な了解で終わっていたのか。 |
| 20:55 → 21:00 |
[司会]例えば、草間さんにしても、60年代の話をされていて、 |
| 21:00 → 21:10 |
[司会]ウォーホルに新作を見せたら、次の週には似たような作品でパクられたというような事を書かれたりしていて、 |
| 21:10 → 21:17 |
[司会]つまり、それが暗黙の了解的に文化なり芸術なりは進んでいくよね、という話なのか、 |
| 21:17 → 21:23 |
[司会]それともしっかりそういう場合をきちんと制度化して、例えば契約みたいな形で、 |
| 21:23 → 21:27 |
[司会]さっきのスコアをフリーウェア的に配布していくという形で、 |
| 21:27 → 21:33 |
[司会]流通自体を規定していくというようなものは無かったんですね、当時は。 |
| 21:33 → 21:41 |
少なくともアーティストたちが自らショップをつくって、 |
| 21:41 → 22:04 |
マルチプル作品を比較的安価な値段で並べたという時点で、当時は驚くべきことだったわけですよね。 |
| 22:04 → 22:12 |
だからそれをさらに具体的に押し進めるという上では、 |
| 22:12 → 22:17 |
彼らはまだすこし早すぎたという風に思いますね。 |
| 22:19 → 22:28 |
逆に、今はようやくそういった意味では時代の方が追いついてきたという言い方もできるのではないでしょうか。 |
| 22:33 → 22:42 |
ちなみにジョージ・マチューナスは自分の作品にサインをしないということを靉嘔さんから聞いたことがあるんですが、 |
| 22:48 → 22:57 |
彼は東欧系の移民で、時代背景もあるのでしょうけれど、 |
| 22:57 → 23:04 |
非常にコミュニズムみたいなものへの思い入れや憧れを含めたものがあって、 |
| 23:04 → 23:17 |
それでアーティストたちの理想的なコミュ—ンを作るというような理想の実現みたいなものがありますね。 |
| 23:17 → 23:34 |
そこでは、私的なものを放棄して共有していくという発想は生まれるべくして生まれたと思うんです。 |
| 23:34 → 23:38 |
[司会]当時の、必然として出てきたということですね。 |
| 23:58 → 24:13 |
楽器を壊すという行為は、バイオリンあるいはピアノを壊すというのは |
| 24:13 → 24:20 |
後の60年代の終わりになって、ロックパフォーマンスに使われる訳ですね。 |
| 24:20 → 24:29 |
The Who のピート・タウンゼントがギターを壊し、ジミー・ヘンドリックスがギターを燃やし、と |
| 24:29 → 24:41 |
彼らが直接フルクサスを参照に接したかは調べる方法がないのですが、 |
| 24:41 → 24:53 |
60年代前半のフルクサスにおける楽器を壊すというイベントが、何らかの形で時代の雰囲気となって、 |
| 24:53 → 25:01 |
60年代の後半には、ロックのステージにおけるパフォーマンスに形を変えていく。 |
| 25:01 → 25:21 |
それがあって、あるいは同時にバスツアー、これはもともとビートニックの文化でもあったんですけど、 |
| 25:21 → 25:31 |
例えば靉嘔さんは64年かなにかに東京でバスツアーの作品をやったりしているはずなんですよ。 |
| 25:31 → 25:42 |
そういったものもマジカルミステリーツアー、つまりビートルズに通じていったことを考えると、 |
| 25:42 → 25:51 |
美術の中で起きていたことが、別のジャンルのものに開かれてゆくという |
| 25:51 → 26:05 |
そういったオープン・ソース的な特性をフルクサスは持っていたんじゃないかという気がします。 |
| 26:13 → 26:24 |
美術の中においても、例えばギルバート・アンド・ジョージの「人間彫刻」は1969年に初演されているわけですが、 |
| 26:24 → 26:41 |
スーツ姿の二人組がステッキを持って、レコードにあわせてパフォーマンスをするということですが、 |
| 26:41 → 26:57 |
その時使われていたレコードが「アーチの下で」というタイトルの、ある意味でのホームレス・ソングなのですよ。 |
| 26:57 → 27:00 |
日本でいったら「ヨイトマケの歌」みたいな。 |
| 27:00 → 27:15 |
そういったものとして、もともとは学園祭から始まって、それがいつの間にやらギャラリーで行なわれ、 |
| 27:15 → 27:24 |
路上パフォーマンスとして行なわれ、ジャズフェスティバルに招待され、最終的には美術館でおこなわれる、みたいな。 |
| 27:24 → 27:40 |
もともとフルクサスのイベントもある意味では、パーティ芸なわけですよね。 |
| 27:41 → 27:52 |
少し見ていただいたので分かると思うのですが、改めて見ると、 |
| 27:52 → 28:00 |
これは誰でもできるというのは、逆にひっくり返して見れば限りなく宴会芸に近い。 |
| 28:00 → 28:06 |
ある意味では「欽ちゃんの仮装人間大賞」のように、次から次へと人が出てきて、 |
| 28:06 → 28:14 |
何か面白いことをするという、そういった形式だと思うのですよ。 |
| 28:17 → 28:18 |
[司会]山形さんのほうで何か反応があったようですが。 |
| 28:18 → 28:22 |
いや、すいません、僕は仮装人間大賞の方が上だと思います |
| 28:24 → 28:25 |
それは時代が違うので。 |
| 28:32 → 28:38 |
[司会]それでは音源のほうも用意いただいているので、ちょっと時代が飛んでということですよね。 |
| 28:38 → 28:52 |
今までアートから音楽の影響の話をしたので、逆に今の音楽の話をしてみたいと思います。 |
| 29:00 → 29:32 |
[司会]流し始めていいですか。[音源のイントロ部分が流れる]これはどういう音源でしょうか。 |
| 29:32 → 29:45 |
これはDJ Foodの“Raiding the Twentieth Century”というもので、Coldcutの変名プロジェクトから始まって、 |
| 29:45 → 30:12 |
ある意味ではDJのために音源をおいしい食べ物のように提供することをコンセプトに作品を作っているわけですね。 |
| 30:12 → 30:20 |
そこでこの曲においては、”Raiding the Twentieth Century”というタイトルで |
| 30:21 → 30:33 |
Raidingというのは略奪する・吸収する・襲いかかる、強いて日本語に訳してみるならば、 |
| 30:33 → 30:41 |
20世紀「まるごといただきます」、みたいな、「いただき20世紀!」みたいな、そういう感じのもの。 |
| 30:43 → 30:53 |
ここでは20世紀のあらゆる音楽が音源としてサンプリングされていて、 |
| 30:53 → 31:00 |
60分間のノンストップの壮大なリミックスになっている。 |
| 31:00 → 31:11 |
当然全てのものは無許可で使っていると思うんですよ。 |
| 31:12 → 31:28 |
それゆえに販売されるのではなく、ネット上で無料配布される、そういった音源としてネット上に存在している作品です。 |
| 31:32 → 31:41 |
[司会] 補足ですが、DJ Food と検索すると公式サイトがでてきて、そこで一時期ずっと配布していたんですが、 |
| 31:41 → 31:51 |
[司会]この60分のなかで使われている100曲以上の楽曲タイトルのクレジットが載っていて、 |
| 31:51 → 31:59 |
[司会]商業的なレーベルなどから相当攻撃を食らって、今は配布を中止しているんですね。 |
| 32:00 → 32:10 |
ただ他にミラーサイトとかが増殖して生きながらえさせているので入手は出来るんですが |
| 32:10 → 32:15 |
もちろんDJ Foodとしてもこれを使って売るということではなくて、 |
| 32:15 → 32:22 |
Raiding the 20th centuryということで楠見さんのいうように「いただきます」という意味の他にも、 |
| 32:22 → 32:31 |
21世紀を考えるために一度20世紀を総括してみようということをColdcutは語っているんですよね. |
| 32:35 → 32:58 |
要するにこの作品はネット上に存在していることが重要であって、このリミックスそのものは...何でしょう。 |
| 33:00 → 33:03 |
[司会]恣意的な、一つの、ただのリミックスであると。 |
| 33:03 → 33:10 |
そうですね。ある意味では存在していることに意味があるという象徴なわけですよね。 |
| 33:10 → 33:18 |
そのことだけに触発されてって訳ではないのですけれど、 |
| 33:18 → 33:30 |
最近僕はミクシィ上で立ち上げたコミュニティが「20世紀ファンクラブ」というものなんですが、 |
| 33:30 → 33:41 |
もともとは1995年ぐらいから「20世紀ファンクラブ」という名称は思いついていたのですが、 |
| 33:41 → 33:53 |
なんていうか、20世紀が終わるにあたって、これからの21世紀において、 |
| 33:53 → 34:04 |
20世紀に関することの専門的な研究や収集が学術的なレベルでも進んでいくであろう、と。 |
| 34:04 → 34:12 |
あるいは、実際にも美術館・博物館や学会なりがこれからつくられていく中で、 |
| 34:12 → 34:29 |
一方で20世紀というものはみんなのもので、特権的な人たちだけのものではなくて、 |
| 34:29 → 34:41 |
もっとミーハー的な、アイコンの対象としてもいいんじゃないかとそういうことを考えて作ったファンクラブです。 |
| 34:46 → 34:59 |
実際には具体的な活動はしていなくて、全体的にはフィクション上のものですが、最近はたと気が付いて |
| 34:59 → 35:10 |
仮にこれをmixi上のコミュにすることでそういうコミュニティがあるというだけでいいじゃないかと、 |
| 35:10 → 35:15 |
そういった発想でやってみたものですね。 |
| 35:20 → 35:24 |
[司会]音量を小さくして流しっぱなしにしましょう。 |
| 35:32 → 35:36 |
[司会]60年代フルクサスの2000年代における福井フルクサスの再現、 |
| 35:36 → 35:44 |
[司会]またその60年代において、60年代が全ての始まりではないかもしれないですが、 |
| 35:44 → 35:52 |
[司会]そこの文化の共有という考えから、ソースとしてのスコアというアイデアの共有が出てきた。 |
| 35:52 → 35:59 |
[司会]現代において、たとえば比較的に著名なDJ Foodみたいな人たちがこういう形で |
| 35:59 → 36:07 |
[司会]意図的に表現を最大化しようとしているわけですが、 |
| 36:07 → 36:15 |
[司会]それが現行の企業だったり制度だったりするものから妨害を受けたり、妨害を受けるという表現は少し一方的ですが、 |
| 36:15 → 36:29 |
[司会]コンフリクトが起きているということですね。山形さん、一連の流れを見て、コメントをいただけますか。 |
| 36:29 → 36:39 |
アートっぽい話をすればいいのか、コンピュータっぽい話をすればいいのかは分からないのですが、 |
| 36:39 → 36:46 |
最初からおっしゃられたように、アートとはもともとはオープン・ソースだったわけですよね。 |
| 36:46 → 36:50 |
そもそもアートにおけるソースって何よとなるわけですわ、 |
| 36:55 → 37:04 |
ソースコードがあって、それをコンパイルすると「モナ・リザ」ができるということとか、そういうものでは恐らく今のところない。 |
| 37:04 → 37:08 |
僕は実はそういう面があるのでは思っているのですが、仮にそうではないということにしておきましょう。 |
| 37:08 → 37:18 |
アート作品においては、「アイデアすなわち表現そのものである」という状態が長く続いていて、 |
| 37:18 → 37:30 |
ところが段々あるところから、表現そのものとは離れてアイデアが問題になってくるというアートの変な時期が生まれてくる。 |
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例えばマルセル・デュシャンという人が便器を買ってきて《泉》というタイトルつけてボーンと置いて「はい、これ作品」といった |
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そこで本当に面白いのは「あなた素晴らしい曲線の便器でございますわね」ということではなくて、 |
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そういうものがアートだということにしてしまったというアイデアが面白い。 |
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前にブライアン・イーノが日記に書いていたのですが、もしもね、 |
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彼の作品の精神を本当に活かそうとするならば、いま例えば世界中でデュシャン展を開催してですね、 |
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昔の小便器を色んな所にものすごい保険金をかけられて移動させられ展示しているのだけれど、 |
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本来はそうじゃないんじゃないか。 |
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彼のアイデアやアートはそこらへんにある便器をポーンと置いたというところにあるのだから、 |
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日本のそこらへんから便器を買ってポーンと置くというのが、それが正しいやり方であろう、と。 |
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たぶん、表現と作品、アイデアと作品というものが離れてしまって、 |
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アイデアのほうだけで評価されている変な作品というものが20世紀には入って出てきてしまった。 |
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それがある意味で、20世紀的な面白さであって、それに対してコンピューターのほうでも、 |
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実際のアイデアを表現したソースコードみたいなものと、プログラムみたいなもの、 |
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人が使うオブジェクト・コードみたいなものがあり、この両者の分離が起こっている。 |
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これがかなり似ているところで、 |
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しかしその一方で、どっちの世界でも段々変なことになってきているわけです. |
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昔はアイデアそのもの、例えばセザンヌは斜めから見るとよく見えるような絵を描きましょうというのを思いついたと。 |
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で別の人がそれをマネしても何の問題ない。セザンヌがその人を訴えることも絶対ありえないのですが、 |
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当時はそういう概念がそもそもなかったわけですが、今だとやっぱりそれが訴えられてしまう。 |
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それから著作権で色んなプログラムで守られてますが、 |
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著作権というのは本当は、表現は守るけれど、アイデアは守らない。アイデアは皆共有できて、表現だけ守るって話ですね。 |
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それでいうと、今のオブジェクト・コードとソースコードという話でいうと、 |
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オブジェクトが表現だからソースコードは守らなくていいよという考えもあってもいいはずですが、 |
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今はソースコードもきちんと著作権で守らないといけなくなった。今のフルクサスの話でも、スコアは最初誰でも共有できる |
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という話になっていたはずなのが、スコアが手に入りにくくなって、あるいはあちこちで売られるようになって、 |
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それが使いにくくなってきている。自由な流通が、アイデアレベルの自由な流通がなくなってきている。 |
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それどころか、スコアそのものが表現の意志としてたてまつられているようになっている。 |
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それは企業の妨害なのか、権力による妨害なのかというのもあるんですけど、 |
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誰もフルクサスに大レコード会社がついて、そういうことを弁護士が推進しているわけでもなくて、 |
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たぶん、それとアーティスト同士の足の引っぱりあいもあるわけですね。 |
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人が自分のソースやスコアを使っているとして、「あれは俺の盗作だ」といったりですね。 |
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それは何か悪い権力がいて、みんなを抑圧しているという構図ではなくて、 |
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皆さん同士、我々同士がお互いに阻害しあうこともあるんですね。それが悪いことなのかというと、 |
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例えば僕のウェブページをそのままマネして名前だけ変えてポーンとあげている人がいたら、 |
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僕も「お前何だ!」と言いに行くと思うので、それが必ずしも悪いことだとはいえないはずなんですけれど、 |
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その一方でそういう我々自身の行動が逆にさっき言ったように流通を難しくしている。 |
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一方で、昔の60年代のバイオリンを壊したというのを何で有り難がって見る人がいるのかという話になっているかというと、 |
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一方でスコアが一部の人のあいだでは価値を持ってしまっている。 |
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それこそベンヤミンのいうアウラじゃないですが、そういうものの手段として活用されているというのが、なんとなくあって。 |
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ひたすらオープンにしましょう、何でも共有すれば美しいのです、というだけではすまない、非常に難しいものがあるなと思うのです。 |
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ありがとうございます。今の山形さんのコメントについて、逆コメント・追加コメントは何かありますか。 |
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確かに流通においては、従来のアートマーケットの中でスコアが扱われてしまうと、 |
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それは要するに当初意味していることとは全く違うところへ行ってしまうわけですよね。 |
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それによって従来のスコアが硬直化した状態になっていると言えるんです。 |
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内容的なものに関しては、まさにアウラなわけですね。 |
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それが歴史的なものとして語り継がれていくということになっていくということによって |
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伝説的な付加価値がついていってしまう。それは仕方がないことなのですけれども。 |
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[司会]山形さんがおっしゃった問題として、時間が経って、60年代の文脈ではより多くの人が手に入るように、 |
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[司会]フルクサス・ショップに行けば安価に手に入るという形態があったはずなのに、 |
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[司会]その部分も当時の価値として引き継がれているべきなのに、そこに神秘化・伝説化のプロセスが入ってしまって、 |
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[司会]当時のいくらかって分からないけれど、数百・数千円で流通していたものとは別のものじゃないのということも入っている。 |
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[司会]つまり歴史を認知して、素晴らしいねということであれば、いまだにフルクサス・ショップがあって、 |
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[司会]安く手に入っているという状態そのものが持続されるべきなのではないでしょうか。 |
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[司会]1つの問題として、神秘化というプロセス、人間の一つの限界なのかも知れないだとかというように、 |
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[司会]色々と議論は出来ると思うのですね。 |
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そういう意味ではフルクサス・スピリッツのバージョン・アップが必要なんですよ。 |
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[司会]社会実装という意味でのバージョン・アップですね.理念はあるので、それをどう今、持続させるかということですよね。 |
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[司会]楠見さんからは以上ということですね。どうもありがとうございました。 |
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[司会]では続けて、椿昇さんにいくつか映像や絵などをお見せいただきながら、お話をお願いしたいと思います。 |

